統合失調再び
今日の幻覚はえぐかった。いや嘘、幻覚ではなかった。俺が病気のとき、兄貴と家の裏山に行ったんだけど、そのとき全世界のほとんどの人間がミックスされた糸によって、靴下ごと足を縫い込まれていく幻覚を体験した。その後もちょいちょいズボンの繊維が体にチクチクと進入してくる感じだった。それで今日、バイト先に向かう車を運転し始めたら、ズボンの内腿からえげつない痛みがグサリと入ってきて、これは、幻覚?またズボンの繊維が俺に進入?と思ったが、いやいやいや、車を停めてズボンを捲ったら、虫だった。怖かった。虫は多分殺した。
それで今日スーパーの惣菜人数少ないの。なんか失恋引きずってるしたかをくくった値引きしたらお寿司が売れ残る売れ残るでもうしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいってずっと頭で唱えてた。悲しいよ。従業員買い物タイム、今日はレジのかわいいJKが2人とも来ててさ、それで寿司一個ずつくらい買ってくれたんだけど、俺だけ山積みのカゴで恥ずかしかった。バカだなぁバカだなぁ。死にたいよ。
アーメン
釜山港へ帰れって曲、俺は好きだ。
「熱いその胸に顔埋めて
もう一度幸せ噛み締めたいのよ」
の部分が素晴らしく、好きである。
でももう一度幸せ噛み締めたいだって?俺は噛み締めるほどの幸せを味わったことなんて一度もない。どんなに楽しいときだっていつも心は半べそ状態なんだよ。どんなにがんばっても届かないし、恋人なんていたことないだけならまだしも俺はいつも仲間はずれ、疎外されているんだ。いやいやいや、昔はそんなことなかったよ。高校なんかは誰とでも喋って友達だって居た。まあこんなこと書いていて何になる。本当の幸せを味わったことはあるじゃないか。おれは高校の時好きだった人に、会ってただ一緒にただ座ってもらってたことがあってその時は心底感動してたよ。人生の絶頂がそれだったら笑えるかもしれないが、十分ありえる。こうやって書くと恥ずかしいね。その関係を俺がぶち壊した。最近になってようやく読み返してみれたが、とても見てられない俺の幼稚なやりとり、思い出すたび震える背筋が凍る、、、があってから鬱鬱としているんだ。いやその前から鬱だった。
話を戻すと、釜山港へ帰れは、恋愛じゃなくて戦争で生き別れた兄弟の話なんだよ。だから幸せっていうのも、俺が今言ったようなものではないんだ。これから日本は戦争をまたするかもしれないけど、もう、完全に、全滅してくれという気持ちと、いやいやみんな生きてくれという気持ちがある。実際、俺が好きな人達が死んだらかなしいよ。
宇宙人
俺の部屋の屋根裏に宇宙人がいる。ギエー、ニョ〜と擬音語で表せない声がするからだ。多分正体はネズミだろう。はっきりと断っておくが、これは幻聴なんかでは絶対にない。俺が幻聴を聴くときは、ある程度意識が朦朧としているのだ。今ははっきりとしている。
統合失調の時、全ての音が俺に対する意思表示に聞こえた。鳥は俺に、遠くにいる友達の声を伝えた。犬は俺がやろうとしていることが友達を怖い目に遭わせるのを伝えた。ドアがキイという音は、全ての音に意味があると気がついた俺に対してのドア自身の、俺の事も気づいてくれ。俺もしんどいんじゃ。という意思表示に聞こえた。八百万の神がなぜうまれたか、それは、俺と同じような状態に昔の人がなっていたんじゃないかと思う。遥か昔太古のことが俺の妄想の中心だった。今のこの世界がこのような状態になってゆくということが昔昔にある程度分かっていたのではないか。というより、過去の、原初の人たちは、一度今と同じくらいに栄えた末に滅亡したという前提で、将来の人を奴隷と見立て、自分たちの書いた筋書き通りに何万年先まで想定していたんじゃないか。今書いているとバカバカしいいかにも病気の人の考えと思うが、根拠になることがあまりにもたくさんあるのだ。それはまたの機会で話す。
冒頭に戻るが、なぜ宇宙人と言ったかというと、半年くらい前からごく稀に、寝ている時に明らかに宇宙人が枕元に立って俺にビームを撃ってきてるとしか思えないことがあったからなんだよ。どうでもいいだろ?
あー
クソッタレ
みんな仲良く宜しくやってくれよ
俺は蚊帳の外で首吊って死ぬけど
お前らはお幸せにな
辛くても頑張れ
そんな事をよく思う。
俺が居ても居なくても大して変わらない
とか、まあ宜しく頼むよ俺を助けてくれって女の子に言ったらアカンカッタ
今回は読ませる気が無い文章。
俺が好きになった人は、好きな人がいてわりかし仲良いけどそーいう目では見れない付き合えないと言われて片思いしてるんだってさ。頑張れとしか言えないよ。辛いだろうけど。死ぬ気で頑張れ。俺のブログは読者が全くいないからこういうことを書いているんだよ つくづく自分がゴミすぎて死にたいよ
眠らなきゃ。後30分したら車を運転しなきゃいけない。しぬかもな。疲労困憊。満身創痍なんじゃない?って高校卒業間際、つまり病気の直前に友達に最後に会った時に言われた。
フッ…面白いから書いておこう。俺は統合失調最盛期のとき中学同期の女の子たちがすごい心配して話しかけてくれてたりなんだりした。しかし、残念ながらそれは全てが完全なる幻聴と妄想だった。今考えたらそれが面白かったから書いた。俺のこと気にする奴なんていないんだよ。 死ね。
..
昔この..は顔に見えた。そんな事はどうでもいい。今はろんろんだ。交番に訊いたらろんろんはもう無いということ。おばあちゃん、と待ち合わせている。ろんろんとはどこなのか!あった。ロンロン広場。今日はほとんど縁が切れた友達に、「死ぬことにした。いままでありがとう。」って送って返事を強要するかを迷う。その人は俺が好きだった人の友達で、俺が頭がおかしくなって軽はずみな言動をしたためにその子と縁が切れた次いでに縁が切れたのだ。だからこんどは逆にその子と縁を復活させて好きだった人とも縁を復活させたいという浅薄な考えなんである。でももう無理だ。俺はその子だけではない。他の重要な人とも次々縁が切れるみたいだ。(ただ今はその中の1人と、5回ほど拒絶された奴と友達になれた。それは唯一救いである。)おれは、何十年かかっても、切れた縁の人達に会って、話がしたい。死ぬまで諦められない。もちろん叶うとは殆ど思えないけど、俺にとってそれを完全に諦めた時は死ぬ時だ。
今日はマヘルの練習会に参加。楽譜通り弾ける曲はあるかなあ。夜は友達のライブを観るけど、ちょうどドミューンでPSFのをやるのが見れないのが残念。
ほんとに生きる時がきて
以前のことは思い出されず
全てのなみだ 拭い去られ
耳と目によろこび溢れ
工藤礼子さんの歌。
あ
あんだけ頑張ったって届かない。俺が音楽について分かったことは、音楽を演奏するときに音楽的な事を考えていてはダメだということ。自分の心が叫ぶことを演奏しなくてはダメだ。でも、俺の心が望むことは、もう会えない人に届かせたいっていう不可能なこと。それを考えていると自然と音がでかくなってしまう訳。でも爆音はただの通過儀礼でなくてはならないと思う。今はいかに大きくない音で大きい音を出した時の感じが出せるかということを俺は求めたい。
帰りの車で泣いた。
音楽を聴く気にもする気にもなれない。うんざりする。辟易する。
でも音楽をきかないとしないとすることがないんだ。空っぽだ。しんどい。音楽以外でやりたいことがない。絵を描くか?飯を作るか?何だろう。どうしよう。