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 読ませる気がないので読まないでいい

例えば小学生の時に自分だけ持っていないゲームの話や自分だけ見てないテレビの話でみんなが盛り上がっている時の気持ちみたいなのを最近また感じていて、そういう気持ちに対して俺はかなり心えぐられるとまではいかなくても自分はこの世には必要のない人間だと思って消えたくなったりしてしまう。俺はマジョリティになりたい。いや、なりたくないけど、なんかずっと引っかかるものがある。私が仲良くなりたいと思っている人が、自分とは離れた世界で生きているということが単純にもどかしい。音楽の趣味があわないとか、それはどうでもいいって思ってるけど、やっぱり、現代のクソ文章っぽい表現だけど、好きという気持ちを共有すること、ができる人が欲しいんじゃなくて、俺が勝手に思ってこのひとは好きと思う人と共有したいんだよなぁ。ただこの話は語弊があって、好きという気持ちが共有したいわけではない。嫌いという本当のことが知りたい。本当の心で語り合いたい。

 

ああ気持ち悪い。

お盆〜地獄の値引きだ惣菜廃棄合戦か

お盆なんて一切やったことがないからいつからなのかも分からなかったが、俺はスーパーのお惣菜なのでとても大変である。なんせ普段の倍の時間働くし、6連勤だし、売り上げ目標なんか普段高くても30万なのに90万どそ!?がはってんよ…。つまり沢山作るので多分沢山廃棄になる。かどうかは俺にかかっている。

すごくしょうもないコピーを思いついたと言っていいのかもわからないが書いておく。

「泣くのはおれか!?コロッケか!?それとも閉店間際のおばちゃん?いやいやそれはないでしょう。」普通に食べものがもったいないから頑張って値引きしなければいけない。

 

今日中学の友達と中学ぶりに会ってカラオケ行った。かなり内心ビビる気持ちがあったが、(それは成人式で会った友達が相変わらずノリノリのイケイケで温度差を感じてあまり話せなかったからであるが)  今日会った彼はいい感じに成人してて、カラオケの選曲も嫌らしくない前向きな曲を嫌らしくなく歌い上げててよかったし生きててよかったとまで思った。

腐敗しただし巻き卵

私はいらないじゃん  

この世には必要のない人間なんていないんだよ。この世に必要のない人間はあの世にいるんだよ。

でも 私はいらないじゃん

 

今更新したら消えたからはてなブログ恨むよ。廃線が俺に月々しい。廃線の踏切の中で延々と座り込んで来ない電車が己を殺してくれるのを待ちつづけながら年老いて死んでゆく。そして俺はごめんね、って1人で謝り続けて発狂するまで、廃線の駅で生きるのが月々しい。

 

 

廃線が俺の生きる道なのか

 

白い部屋の壁にかかった

狂った時計の時間の中

この秒針が俺の生きる道なのか

進むことはなく震えて戻る

一秒間を繰り返している

 

水たまりのない道を選んで

交差点を過ぎ歩いていた

この踏切が俺の生きる場所なのか

線路に座って待ち続けたが

電車はこない線路だった

この廃線が俺の生きる道なのか

電車の来ないホームに佇む

電車が来るのを待ち続けている

 

面白くない

生きててもいいことなんてないのになぜ生きているがぐるぐるしている

だんだん俺の妄想の中でこの世とあの世が並列化されている

ライブをやった

クソしんどかった

楽しくはない充実感もあんまりない

見ている人でよかったと言ってくれる人は居たけれど。

俺は涙が出ない

笑っている

人生は楽しいと思っている人って居るのか居ないのかが気になる。

廃線 1(ゴミ)

廃線が俺の終わるの場所なのだ。これは小説などではない。統合失調の心の伝票だ。俺は今泣いている。俺は毎日泣いているが、それは大した涙量ではない。かなしくて笑っているのだ。

どうしても自分がいらない人間に思えるなんていうことは普通によくある考えだろう。あー、年間自殺者数は2万数千だ。自殺者がなければ人口はむしろ増えてるとかなんとか聞いたことあるよ。

 

日記も書けないし創作もなんかつまらない。でも書くしかない。これは創作であり日記である。

 

朝起きて、ギンギンになっていれば救いがあるのか。俺は勃起にかけても自信がない。毎日の日課のようにして手淫をしているが全然楽しくない。しかもセックスより手でする方が気持ちいいと聞いたからもう希望もない。生きていてなんになる。俺は、首を絞める。だが、すぐにやめてしまうんだ。死んでなんになる。というより残された家族が可哀想だから。いやいや、怖くて死なないだけでしょ?ははぁ〜。おれはその通りだと答える。

 おれは普通に幸せになるにはクズ過ぎる。誰か俺を救ってくれる女の子が現れてほしいとか思っていたが無理な話だ。ここにはかけないことを沢山しているんど。

るんど。

阿佐ヶ谷 天
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突然だが今日ここでライブがある。

来てくれる人はいないだろう。

 

うな重

 

 

今日はうな重一個廃棄にしてしまって落ち込んでいる。廃棄といっても、落としてしまった、ひっくり返して中身が出てしまった、などという類ではなく、単純に、売り切れなかった、売れ残りによるものである。明日になれば廃棄、そう云う事。何故こんなに落ち込んでいるかというと、それはこれから言う。

PM8:20の段階で1706円の国産うな重700円に下げてあるの残り数は多分4つであった。8:30にそれを600円に下げた。うちのスーパーは1/4まで下げて良い事になっているので、当然430円まで下げて良いのだが、なんかこう、一年もスーパーに勤めていると、売り上げを少しでも上げたいという、セコい考えが浮かんでしまうのだ。600円と言えば、普通の弁当が通常価格で429円、さらにこの時間帯になれば150円又は100円に値下げして販売しているのを考えれば、その弁当4つ又は6つ買える値段である。実際、弁当は全て売り切れ、隣のうな重の前にも何人も人が立ったが、売れたのは、一つだけだった。

その後、8:50、閉店10分前に、その例の最高値引き価格である1/4価格に下げようと値引き機を持ってうな重に近づいたところ、2人組のお客様がやってくる。ここでまた、セコい売り上げ貢献心が働き、500円で買ってくれ?と、そうしてしまった。それでも一個売れ、残2。しかしまだタカをくくっていた。

もともと閉店後、従業員買い物タイムに430円に下げ、従業員の方に、買って行ってもらおうという魂胆だったのだ。

しかし、従業員にも、一つしか売れず。

それで残ったひとつ廃棄という訳なんであるが、ここまで話して、なんて狡い人間なんだと自分でも思うが、私は肝心な、私の罪の核心に触れる事を話していない、。

実を言うと、7:30の段階で、私は、自分と、家族の分、6つのうな重を、作業場に下げていたのだ。確保しておくことそれ自体は、チーフに勧められた事でもあるし、悪い事ではないが、なんとも言い難い後ろめたさがあるのは、俺は、一方で売り上げのことを気にしてはいるけれども、おのれの買う分においては、全て1/4ギリギリまで下げるという事を即座に行なっていたのだ。今書いていて我ながらがめついとは思ったが、そんな事はもうとっくに開き直っているし、心も少々痛む程度であった。

営業中にうな重が全て売れてしまったら、自分だけ取っておいてしかも売り場で出ている値段より安く買おうとしている事がバレたらが怒られそうだし、なんとか閉店まで残し、自分と同じ値段で従業員が買う、そういう状況を作りたいがためにああいったセコい値引きをしていたのであって売り上げなんてのははちっぽけな理由で、理由というより、なんていうんだっけこういう自己弁護のための理由作りのことを、。

でも、俺が心にしこりを作ったのはそれもあるがそれだけではない。

自分が狡い人間だとか、それは確かに要因としてはあるが、本当に、申し訳ない気持ちになるのは、まあ、食べ物をゴミにしてしまったという罪悪感はまずあるけど、まだ理由がもうひとつあって。

私がちょうど売り場に出ていた時に、とある母親と息子が、600円のうな重をのところに来て、しばらくうな重を見ていたんだけど、でも、その親子は買わなかったんだ。ただ、母親が、息子にひとこと、(食べなくても生きていけるよね)   っていって立ち去ったのが心に刺さって。俺は前のブログでみんなはうまいもん食ってるけど自分はうまいもんは食えないんだなんだと言っていたが、これじゃまるで逆じゃないか。ちくしょう。話は戻るがもしそれが430円だったら、やっぱり買わなかったのかな、いや、分からないが買ったと思う。600であんなに迷っていたのだもの。てかその親子が買わなかったとしても、売れ残る事はなかっただろう。だから、だからというかさ、とにかく、あのうな重が明日、ゴミ袋の中に投入されるってのは、紛れもなく俺のせいなんであるのよ。

もうここまで書いたら罪悪感ほどんどなくなってるわけ。クソ。それより、今日ゴミ袋に米が炊飯器一回分くらい捨てられてて、あと、ピンク色の生姜、紅じゃないやつ、拾って食いましたよ、コメは大して食えなかったが、生姜うまかったなぁ....もったいないよほんと。