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今日は昼からバイト。

PM 2:40、あと20分で休憩だって餃子かなんかをパックしてるとき、金◼️玉を縫い針でグッサリ刺されたような痛みが。うわ幻痛?それとも天罰?でも俺はまだこの玉使ってそんなこと一度だってしてないよ、悲しいな。神は俺に死ねとは言わず、苦しんで生きろと云うのか。次のソロのライブ終わったら自害する。そういうつもりで今僕は生きている。それでライブやってる途中に神々しい気持ちになってもう一度生きていたいとか感じちゃって死ぬのは辞めるんだってそこまで考えていて良いライブができるかよ。まあライブは置いといて、今日書きたい事を書く。俺はスーパーのお惣菜班だ。お惣菜は、美味しそうなやつから売れていく。俺はいつも売れ残った不味いやつしか買わない。それが自分には相応しいんだと云いきかせ、それで落ち込むんだ。俺には美味しいお惣菜は似合わない。俺が食べるのは廃棄になってゴミ箱の底でひっくり返ってるやつだって。それも見つかったらクビだろう。俺は俺を必要としてくれる人と付き合いたいのか。いや、本当は違うのかもしれない。自分で感じて好きな人と付き合いたい。そして今日の昼飯、俺には絶対に縁がないと決めていた十勝豚飯弁当を買った。このうまさの微妙な不満足感、今まで憧れていたような、自分には高嶺の花だったものが、実際手に入ってみて、なんだこんなもんかって、なるのは怖い。

 

明日も12時出勤。今日の晩飯はカップラーメン。今は死にたくはない。

 

 

 

佳野さんの歌


私は統合失調症なのだが、それが一番酷かった時、佳野さんの歌ばかり聴いていた。スイミースイッチ佳野さんの音楽は、一聴すると、巷に溢れる、切ないラブソングのように聴こえるかもしれない。だけど、歌が背負っている、悲しみや、絶望、生きることや死ぬことへの胸の奥からの叫び、そしてやさしさ、そういう所が、所謂ポップソングとは全く別物だと思います。それは、彼女のお母さんが自死されたことを歌っているからだけではないと私は思う。
佳野さんの歌を聴いていると私は、自らが生きることを、肯定される、励まされる、もう少し生きていよう、と思える。こんなに悲しい歌なのに、原初的な、生きることのよろこび、を思い出させてくれる、貴重な音楽だと思います。

読む価値ないョ

ムカツクハムカツクイテエムカツクハムカツハムカツクカニクリームコロッケを略してカニクリってペニクリみたいだよね。死にたい。

ほんとにショウモナイ俺は人生の減衰期をこれから迎えるのだろうか今が一番減衰している。学校通ってた時はまだ良かったよ。高校の終わりにはしんどかったけどその後急下降している。でもこれはまだまだマシなのかな。これからもっと辛い事起きるんだろうな。助けて欲しい。俺とはなしをしてくれるだけでいいんだよ。俺と付き合って欲しいじゃなくて、俺に付き合って欲しい。くだらない話をしてほしい。否、満たされない気持ちが永遠に続く人生よ、俺は満たされたいよ。もっともっと話がしたいんだ。今日、俺の好きなバイト先の人(好きと言っても異性としてではなく人間的に好きというオバハンです)に、「えっ9月でやめちゃうの?寂しい…えっ寂しい」といつものデカめの声量で(声がデカイと普通高圧的でウルサイなと思うが、なぜかこの人のデカイ声は低圧的(って言葉があるのかは知らんが)で控えめな印象を受けるので好きなのだ)言われた。なんかな、死なないでがんばるよ。俺はスーパーでは好印象なのかな。奇声あげたりしないからね。

 

死にたいとは、どういう事なんだろう。

ひとつはそう言う事で気にしてもらいたいんだろう。または死ぬ事で、みんなに俺がしんどかったことを分からせたいとか。でもそれだけではない。まあどうでもいいけど俺は満たされたいんだよ。

かなりメンドくさい人間だ。チンチンが心を反映している。もっと元気になりたいんだ。心が元気に、。

 

 

 

焼肉

今日こそは読ませる気がない文書いてやる。

焼肉に参加した。肉がうまいと自然と会話も楽しげになる。でも俺はほとんど楽しめない。肉は美味いから誘われるのは嬉しいし奢ってもらったからありがたい。でも、俺は肉を噛み締める時に涙が出そうになる。これは他のもの食ってもなるから話は少しややこしくなるが理由は2つある。ひとつは、千と千尋のおにぎり食って泣くシーン、あれとほぼ同じだと思う。人生が退屈、というより、とにかくシンドインダ。俺は根暗なのか根明なのかわからない。俺さえ居なければ、よかったのに、とかそういう事を思う。とにかく死にたいが死にたくない。もうひとつは、肉を食う時に、この肉が人間のものだったら、ということを考えながら食べた。俺は鶏を屠殺したとき、その死体を抱きながら1時間泣いた。どうしてもおれは肉畜を人間と同列に見立てたいみたいだ。でも1時間で済んだということは、まあ、その程度、そういう事だろう。俺の先輩は自殺した。そのことを今考えても、かなしいとかそういう次元ではない。あっちに行ったか、、そうか、そうか、俺もそっちに行きたいよ、とかそういうレベルだ。生きる気力が欲しい。というより彼女がほしい、とか言ってられるだけまだマシだろ?死んだ方がマシか?頭が回らなすぎる。

全て終わりにしたい。

 

俺の弟は今東方の曲をパソコンで聞いている。俺の高校も東方好きな人多かったな。おかげで音楽の友達なんて1人もできなかったし、今はまだ兄弟で音楽するのも難しいだろう。俺がアングラな音楽ばかり流していたせいで反面教師になっちまったのか?まあそうなんだろう。人生に希望が欲しい。生きてゆくことの希望。自殺しないことを目標にいきている。俺のこと救ってくれよ。ごめんね。

なんだか酷く宇宙的な気持ち。今日曲を書いた。

 

無題

朝 目を閉じて 立ち塞いだ

狂った時間の時計の中で

秒針がおれの生きる道なのか

1秒間だけ動いて戻る

その時間だけ繰り返している

月のない夜は独りで

交差点を過ぎ歩き続けた

踏切がおれの生きる道なのか

線路に入って待ち続けたが

おれのことは通り過ぎる風

電車の来ない廃線だった

 

 

統合失調再び

今日の幻覚はえぐかった。いや嘘、幻覚ではなかった。俺が病気のとき、兄貴と家の裏山に行ったんだけど、そのとき全世界のほとんどの人間がミックスされた糸によって、靴下ごと足を縫い込まれていく幻覚を体験した。その後もちょいちょいズボンの繊維が体にチクチクと進入してくる感じだった。それで今日、バイト先に向かう車を運転し始めたら、ズボンの内腿からえげつない痛みがグサリと入ってきて、これは、幻覚?またズボンの繊維が俺に進入?と思ったが、いやいやいや、車を停めてズボンを捲ったら、虫だった。怖かった。虫は多分殺した。

それで今日スーパーの惣菜人数少ないの。なんか失恋引きずってるしたかをくくった値引きしたらお寿司が売れ残る売れ残るでもうしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいってずっと頭で唱えてた。悲しいよ。従業員買い物タイム、今日はレジのかわいいJKが2人とも来ててさ、それで寿司一個ずつくらい買ってくれたんだけど、俺だけ山積みのカゴで恥ずかしかった。バカだなぁバカだなぁ。死にたいよ。

 

 

アーメン

 

釜山港へ帰れって曲、俺は好きだ。

「熱いその胸に顔埋めて

もう一度幸せ噛み締めたいのよ」

の部分が素晴らしく、好きである。

ももう一度幸せ噛み締めたいだって?俺は噛み締めるほどの幸せを味わったことなんて一度もない。どんなに楽しいときだっていつも心は半べそ状態なんだよ。どんなにがんばっても届かないし、恋人なんていたことないだけならまだしも俺はいつも仲間はずれ、疎外されているんだ。いやいやいや、昔はそんなことなかったよ。高校なんかは誰とでも喋って友達だって居た。まあこんなこと書いていて何になる。本当の幸せを味わったことはあるじゃないか。おれは高校の時好きだった人に、会ってただ一緒にただ座ってもらってたことがあってその時は心底感動してたよ。人生の絶頂がそれだったら笑えるかもしれないが、十分ありえる。こうやって書くと恥ずかしいね。その関係を俺がぶち壊した。最近になってようやく読み返してみれたが、とても見てられない俺の幼稚なやりとり、思い出すたび震える背筋が凍る、、、があってから鬱鬱としているんだ。いやその前から鬱だった。

 話を戻すと、釜山港へ帰れは、恋愛じゃなくて戦争で生き別れた兄弟の話なんだよ。だから幸せっていうのも、俺が今言ったようなものではないんだ。これから日本は戦争をまたするかもしれないけど、もう、完全に、全滅してくれという気持ちと、いやいやみんな生きてくれという気持ちがある。実際、俺が好きな人達が死んだらかなしいよ。

 

 

 

 

宇宙人

 

 

俺の部屋の屋根裏に宇宙人がいる。ギエー、ニョ〜と擬音語で表せない声がするからだ。多分正体はネズミだろう。はっきりと断っておくが、これは幻聴なんかでは絶対にない。俺が幻聴を聴くときは、ある程度意識が朦朧としているのだ。今ははっきりとしている。

 

統合失調の時、全ての音が俺に対する意思表示に聞こえた。鳥は俺に、遠くにいる友達の声を伝えた。犬は俺がやろうとしていることが友達を怖い目に遭わせるのを伝えた。ドアがキイという音は、全ての音に意味があると気がついた俺に対してのドア自身の、俺の事も気づいてくれ。俺もしんどいんじゃ。という意思表示に聞こえた。八百万の神がなぜうまれたか、それは、俺と同じような状態に昔の人がなっていたんじゃないかと思う。遥か昔太古のことが俺の妄想の中心だった。今のこの世界がこのような状態になってゆくということが昔昔にある程度分かっていたのではないか。というより、過去の、原初の人たちは、一度今と同じくらいに栄えた末に滅亡したという前提で、将来の人を奴隷と見立て、自分たちの書いた筋書き通りに何万年先まで想定していたんじゃないか。今書いているとバカバカしいいかにも病気の人の考えと思うが、根拠になることがあまりにもたくさんあるのだ。それはまたの機会で話す。

 

冒頭に戻るが、なぜ宇宙人と言ったかというと、半年くらい前からごく稀に、寝ている時に明らかに宇宙人が枕元に立って俺にビームを撃ってきてるとしか思えないことがあったからなんだよ。どうでもいいだろ?