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なんかさ、強烈ではないねんけどずっとずっとずっとこころの奥底からしにたくてさ、ここんとこずっと布団にとどまってなんもできへんねん。頼みの綱のようにしていた、これなら歌ってもいいかなっていう最後の曲さえ歌うことができなくなってしまってさ、この音ならだしてもいいかなって音もなくなってしまって、あああああああもうどうがんばっても仕方ないようなさ、で、9/22と10/7にライブあんねんけど。

 

最近きいた音楽

自分の文は読み返すと恥ずかしいですが最近聴いた音楽について書きました。
昨日は光束夜の1stを聴いて、今日は光束夜のラストライブを聴いた。一昨日はMad Nannaを聴き、先ほど向井Chieさんが参加しているインプロのアルバムを聴きました。一週間前に20guildersの2ndを聴きその後、灰野さんの魂の純愛の不失者、ロストアラーフを聴いて、永遠の方が先に手を出したのさを聴いた。あと平成元年live上をきいて、散る葉の後に降る雪の意味も知らずのシングルを聴きました。YoutubeChe-Shizuを聴いて、シングル盤の二プリッツのいとこにキッスを聴きました。その前にシングル盤のUnknown happinessを聴きました。あと感想は書きませんがアグネスチャンとかも聴きました。

光束夜は、時系列的な意味ではなく、ぼくにとってあらゆる原点と思いたい音楽だと改めて思いました。金子さんを生で観たかったですが、それが叶わぬ今、金子さんが若い頃に録音した自作曲の弾き語りという幻の音源…を聴きたい気持ちがとてもあります。。裏窓に行った時に聞かせていただいた、追悼ライブを含む金子さん関連の数々は未だに記憶の片隅で思い出しては鳴り続けています。

Mad Nannaは、Little Flowerという曲の、ごまかしでない、丁寧な不協和音的なリードギターに包み込まれるような深い愛情を感じました。音楽をまたやりたいとおもいました。

向井千惠さんの参加されているインプロのアルバムは、どの方も素晴らしかったですが、やはり向井さんの声と胡弓の不思議な古代性のようなものは、僕の中で格別で、心で響かせていたい音楽です。

20guildersは、率直に音を楽しんで聞く、聴いてテンションが上がって心がはしゃぎまわりたくなる、みたいな聞き方を長らくできていながった自分が久々にさせていただけて素晴らしかったです。歌詞も含めてすごく好きでした。

灰野さんはやはりすごいですね。長い年月をかけて灰野さんの積み上げたものを借用したくないのでどうしても悔しい気持ちになります。三上さんも生で観たことがないのでいち早く観に行きたいです。吉沢さんのベースはこの編成のやつが今の所一番好きです。

マヘルと二プリッツのシングル盤は、回転数やピッチ調整で速度を弄って何度も聴いて楽しみました。今まで素直に聴いてしっくりこなかったものも、このやり方で楽しめたらいいなと思いました。

現在統失の療養中ですが、多少調子は良くなってきました。ゆっくり調子を整えていきます。

アーがんばれ

しょうもない。本当にしょうもない。何がってそれは自分以外なんでもないけどさ、もう文章書くのもしばらくぶりだけど、明日は新宿motionで海辺のニューゴリラ、今日か。俺がドラム叩くからさ、歌でスカムを包んでしまえればいいけれどスカムで歌を覆ってしまったら普通の人には理解されないんだろうな。さあどうなるか?

価値観がひとつあったらその真逆の奴が必ず居るって考えてたけど自信無くすよなぁ。間違ってるような気がするけど、絶対数が偏ってるだけで合ってると思ゆ

。そういう考えじゃなくて結局自分がどうしたいか、自分が好きな事をやらねば。でも自分が好きなことってのは周りの価値観に影響されるんだよねぇ俺の場合は。

 

 

出てきたメモ(意味のない自動筆記のような)

トラトンの玉子は隠されたいとは考えない

ニーソの自由に車は存在していると思いませんか、私は思いません

黄ぼに躁つった首の車

車は草という道の王座  神の死因はどうでもいい

また、あいするということは、布団の戸はありがとう という県民性から来た気がする、改めて親、金はボールペンのはしごから聞き出してほしい

山に発射して初めて一人前の木でつくった棒についたカスを認めることができる。水田の米は走らされている。どうしても気を付けたいというのならば、あとでロヒプでラリろっかな  キーーーーー

という色は広がりを持たないこそあるが、針とは違った 温かさを内包しているとは私は思わない。

やはりのやとはとりヤトハトリは苦しみをかみしめている時の心を思い起こすべきという説はかなり、かとなとりの気分だ。

 

 

あ、

白い喪服ずっと着ていたいという人が居りました。白い喪服には「あなたの死とともに私も死にました」という意味があるそうです。またそれが未亡人であれば「あなた以外の色には染まらない」という意味にもなるそうです。

 

死後の魂は、粒子のよりももっと小さな点になると感じる。

 

喪は英語でMourning、発音はモーニングなのでモーニング娘。っていうのはOh,そうか!

 

訛り吃りは可能性を感じる

永眠しないオミットの月

 

白い喪服の      濡れた死は

鏡の小箱にしまってあれど

庭の落ち葉を 布団にいれて眠る

夜はさみしい   明かりの中も

終わった余生  潰れた身体

私の光は 死んだ 猫

ひきだしのなかからおもってるのは

こわれたびょうきのかれたはな

つみきのなかからこぼれてるのは

おれのかれたなみだ

たたみの空を 夕日になぞる

お花畠を耕してあるく

鍬の重みは かなしいかな

しかたないんだ でも

 

 

私は恥ずかしい水で生きている

私は恥ずかしい水で生きている。

ってさ、わたしは淋しい水でできているっていう言葉のぱくりやねんけもどさ、意味わかんないけどさ、せやねんよ、俺は恥ずかしい水で生きているのよってさ、ああ、悲しいけど、でも、こういう感じの文体って読みにくくて良いよね、まぁ俺はこういう文絶対読まないけど、ってことは読まれないってことよな?はははなんでもかんでも書いていたからさ、昔の日記読んだら恥ずかしいのわ、だって、なに?恥ずかしいよ。でも、恥ずかしくない文章って、信じられないよね、そして恥ずかしいことを描いている文だからといって信じられが増すわけではなくよね、はは、われわれはれれんの民で、瘡蓋の夜は道行く凪のようだ。死んだ方がいいだろ?やっぱり頑張ってさ、生きていこうよ、みんな、。君が死んだら寂しいよ。君っていうのは君の事じゃないよ、もっと漁ろなんだ。カシミールってヤンデックの奥さんの名前って嘘だけどさ、ブスコパンはお腹の薬、フトルミンは太るための薬、イタミスカットはあらゆる痛みを緩和させるのだ!ケロリンは歯痛の薬だよ、まったく。かなり辛くなってきた、ほんとに薬っていうのはさ、だから、CD出してるやつの、燻ってきた畳の、休んでしまった可能性は、キズバンドによって降り積もられているっていうのは、流石に破綻しすぎか。風邪というのは一回休んで10日くらい滞在してるよ。はいお腹の薬ブスコパンたべたい。かなやわ〜さかあはたなしい、これ読み続けられる人ってス

 

そろそろ真面目に本題書きます。その前にさ私は恥ずかしい水で生きていこうよっって云われても困るよね。生死をぶっかけた絵。うわ!恥ずかしい!朝食がわりに風俗いけるくらいに稼ぎてえ。がぎがががががが。ととと。かかか。

 

今年はバンドのLP出したいねんけど。バンド名思いつかねえんよ。よっかび。冬黴。吃ってくハルシンズ。スタッターズ。億月。ああ、ダレカワタシニもっと素晴らしいねーみんぐせんすを授けてください。いや、ネーミングセンスというよりバンド名そのものを考えておくれ。ほしい。

 

あああ、わたしはこうやって糞をしながら糞よりも恥ずかしい水をせっせと表示してゆくのですか?文字を打ってからなんて書いたのか考えているのですが、死にたいと思わないためには音楽や、文章や、絵などを人目につくところに発表して、人に褒めてもらえたらいいのですが、大抵は反対に、私自身の存在を公害のように思わしめるということに結実され、より死にたいと思うことにつながるのですが、でも、死にたいという感情がなくなったらもうおれは終わりだと思う、そんな人には決してなりたくない

布団とお湯

2日前に風邪を引いてしまって、寝込んでいる。首のリンパ線が腫れてぽこっとなってて痛い。ずっと憂鬱な気分だけど、寝込んでいると殊更だよね。こんな文章に読む価値なんてないよ。強烈な死にたさと同じくらいの不安で心の中がぎゅうぎゅう詰めになっている。何も上手くいかないよ。どうしたらいい。